股関節の手術をしてから、早いもので12年・干支が一周してしまいました。
そして、その間にすべり症の手術をし、5年が経ちます。

様々な試練がありましたが、日々仕事に追われながらも、なるべく
歩くなど体が錆びつかない様に頑張ってきました。執刀して下さった
先生方には本当に感謝しています。

この手術をキッカケに、パソコンの学校に通い、このホームページも作る
事ができました。

最近、街の中でも杖をついた方をよく見かけます。
他にも様々なハンディを持った方達をお見かけします。
私もその一人として日々努力をしていきたいと思っています。
(令和5年5月)

PDFのためロードに時間がかかることがあります。ご了承ください。

私の股関節闘病記(11ページ)

・・・僅か二時間弱の間に、私の脚は皮を切られ、贅肉を掻き分け、筋肉を切られ、
骨を切られ移動し、さらに切った骨でビスの様なものまで造られて、固定され、
最後に医療用ホチキスで何も無かった様に、元に戻されていた。(抜粋)

私の股関節闘病記2(7ページ)

・・・それは突然やってくる。朝目覚めて起き上がると、あの術脚がグニャとする感覚が
無くなっている。脚の付け根の痛みの時もそうだった。突然痛みがなくなったのだ。
毎日何気なく生活しているが、日に日に良くなっているものなのだなあと実感する。(抜粋)

私の股関節闘病記3(病院めぐり・患者の気持ち)(13ページ)

あるとき心臓が何となく痛くなったので、事務所近くの超高級住宅街にある病院を受診した。
・・・軽い狭心症です』と。『お酒もダメ、徹夜もダメ。とにかく不摂生はやめて下さい』
と言い、いきなりニトログリセリンを処方してくれた。ビックリしたのは私だった。
たったこれだけの検査でニトログリセリン?
  すごく落ち込んだ。そんなことを言われたら、私は仕事ができない。ショックで何も手に着かなくなった。
・・・勿論ニトログリセリンは一度も飲まなかった。そのかわり、大きい病院へ行く事にした。(抜粋)

私の股関節闘病記4(新たな挑戦の始まり)(10ページ)

手術をしてから半年近くが経とうとしていた。今までの仕事は立ちっぱなしだったので、
何か新しい事を考えなければならなかった。たぶん事務職がいいだろうと思った。
しかし、経験がなかったので、パソコン教室に通う事にした。
  また学校が始まる。二人の先生からは、毎日思いも寄らない課題が出され、その都度頑張ろうと心に誓うが、
すぐに挫ける。毎日気が抜けない。いつしか教室は刑事物のドラマの取調室の様な雰囲気に包まれる。
敏腕刑事にカツ丼を食べさせてくれる人情派の刑事。(抜粋)

home